Skip to content

Commit

Permalink
Update 2024-04/07-08 videos; add ja/2024-04/08
Browse files Browse the repository at this point in the history
  • Loading branch information
alimness committed Nov 16, 2024
1 parent 5f0ef76 commit a8f5103
Show file tree
Hide file tree
Showing 8 changed files with 214 additions and 13 deletions.
19 changes: 18 additions & 1 deletion src/ja/2024-04/08/01.md
Original file line number Diff line number Diff line change
Expand Up @@ -3,4 +3,21 @@ title: 旧約聖書の預言の成就
date: 16/11/2024
---

### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
> <p>暗唱聖句</p>
> しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。(ヨハネ 5:36、新共同訳)
> <p></p>
> しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。(ヨハネ 5:36、口語訳)
### 今週の聖句
ヨハネ 5:17、20、36 - 40、46、47、ヨハネ 13:18、ヨハネ 17:12、エレミヤ 2:13、ゼカリヤ 9:9、ヨハネ 8:12-30

私たちはヨハネによる福音書の中に、確かにメシア(マシアハ)、つまりキリストがイスラエルにやって来られたことを明らかにするイエスのあらゆる言動を、何度も見ることができます。そして実際に、聖書が預言していたとおり、イエスはベツレヘムで生まれたユダヤ人の 1 人としておいでになりました。

しかし、ヨハネが書いたように、「言ことばは世にあった。世は言によって成った
が、世は言を認めなかった」(ヨハ 1:10)のです。

主は世にあり、世は主によって成ったのに、**世は主を認めませんでした。**これは驚くべき言葉です。ヨハネによる福音書やほかの福音書にも見られるように、多くの人が、イエスのあらゆる言葉と行いによって、彼を主と認めるべきであったのに認めませんでした。さらには旧約聖書の聖句がイエスを指し示していたにもかかわらず、彼らは認めなかったのです。

今週私たちは、ヨハネがイエスをメシアとして明らかにした方法をさらに見るとともに、イエスをキリストとして認める有力な理由があったにもかかわらず、一部の人が彼を拒絶し続けた理由を考えます。

彼らの過ちから何を学べるでしょうか。
20 changes: 18 additions & 2 deletions src/ja/2024-04/08/02.md
Original file line number Diff line number Diff line change
@@ -1,6 +1,22 @@
---
title: 日課
title: しるし、御業、不思議な業
date: 17/11/2024
---

### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
ヨハネは、イエスがメシアでおられることを示すために具体的な奇跡を用いましたが、それらに加えて、イエスが行われたしるし、御業、不思議な業に関する幅広い議論も記録しています。

しるしや不思議な業それ自体は、イエスがメシアであることの証拠ではありませんでした。なぜなら、多くの預言者、時には偽預言者も奇跡を行ったからです。ヨハネは、単に、しるしが奇跡を行った偉大な人を指し示すために、それらを記録したのではありません。彼がしるしを記録したのは、イエスがメシアであることを指し示し、また彼が確かに父なる神ご自身のもとから来られたことを示すというユニークな特徴がありました。

`ヨハネ 5:17、20、36-38 を読んでください。これらの聖句は、特にしるしに関して、イエスと父なる神のつながりをいかに説明していますか。`

イエスは、父なる神との密接な共労関係を示すためにしるしを用いられました。2 人は一体でした。御業は、「父がわたし(イエス)の内におられ、わたしが父の内にいること」(ヨハ 10:38、同 14:10、11 も参照)を示していたのです。

イエスが来られた目的は、彼を遣わされたお方の業を行い、その業が世に明らかにされるためでした。つまり、イエスが来られたのは、御父が望まれる業を行うためであり、イエスが行われた御業は、イエスが父なる神のもとから来られたことをはっきりと証明するものであったのです。

しかし、すでに見たように、説得力のあるしるしや多くの人の証しにもかかわらず、人々は依然として信じようとしませんでした。

宗教指導者たちはイエスに尋ねました。「『いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。』イエスは答えられた。

『わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている』」(ヨハ 10:24、25)。

もしイエスが単刀直入に、自分はメシアであると言っておられたら、宗教指導者たちはイエスに不利なことを探し出し、彼を責め立てたことでしょう。それを知っておられたからこそ、イエスは代わりに、ご自分がなさった業を指し示されたのです。もしイエスが、自分はキリストであると言われたら、彼らはそれを簡単に否定しようとするでしょう。しかし、そのしるし、行い、不思議な業を否定することができたのでしょうか。それらは、イエスが何者であり、どこから来られたのかを示す強力な証拠でした。
14 changes: 12 additions & 2 deletions src/ja/2024-04/08/03.md
Original file line number Diff line number Diff line change
@@ -1,6 +1,16 @@
---
title: 日課
title: 聖書の権威ある役割
date: 18/11/2024
---

### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
ヨハネは、イエスをメシアとして指し示すために、具体的なしるしや証しを用いるとともに、旧約聖書の権威とキリストの働きを予告した預言にも訴えました。旧約聖書は、ヨハネによる福音書にとってだけでなく、新約聖書全体にとって重要です。イエスが何者であり、どこから来て、何をし、これから何をされるのかというイエスに関する根拠は、聖書(ここでは旧約聖書)に基づいています。

`次の聖句を読んでください(ヨハ 5:39、40、46、47)。これらは、聖書の権威に対するイエスの態度について、どのようなことを教えていますか。`

四福音書を通して、イエスはご自分の重要な証しとして、聖書の権威を何度も指摘しておられます。例えば、イエスはしばしば旧約聖書の出来事を用いて、ご自分やご自分がなさることを指し示されました。以下はその一例で、民数記 21:5 - 9 の出来事が用いられています。「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」(ヨハ 3:14)。ここでイエスは、この物語に言及するだけでなく、それを用いてご自分を指し示すことで、この物語が伝えようとしていた権威ある解釈を私たちに与えておられるのです。

また、イエスだけでなく、ほかの人も、イエスを指し示すために旧約聖書を用いています。例えば、ヨハネによる福音書の初めのほうで、「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った」(ヨハ 1:45)というフィリポの言葉が書かれています。

`次の聖句を読んでください(ヨハ 13:18、17:12、19:24、28、36)。イエスとヨハネは、彼らが理解した聖書の権威について、どのようなことを教えていますか。このことから、聖書全体が私たちの信仰に対して果たさねばならない重要な役割について、何を知ることができますか。`

`今日、聖書の権威に対する私たちの信仰を損なうために、巧妙に、あるいは公 然と働いている力には、どのようなものがありますか。安息日学校のクラスで 分かち合うことができるように、答えを準備しておきましょう。`
20 changes: 18 additions & 2 deletions src/ja/2024-04/08/04.md
Original file line number Diff line number Diff line change
@@ -1,6 +1,22 @@
---
title: 日課
title: イエスに関する旧約聖書の預言(その 1)
date: 19/11/2024
---

### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
イエスは、ご自分の正体について宗教指導者たちと議論した際に、聖書の権威を主張されました。宗教指導者たちは聖書を信じていたのですから、一見すると、イエスがそのようなことをなさる必要はないように思えます。それにもかかわらず、イエスが彼らに聖書の権威を強調されたのは、彼らの心がどれほどかたくなで、彼らがどれほど確信に抵抗しようと、ご自分が何者であるかを示されるためでした。

一方、ヨハネは、イエスが旧約聖書のメシアの約束の成就であられることを示す、旧約聖書からの直接的な引用や旧約聖書へのさりげない言及を数多く記しています。

**新約聖書と旧約聖書の次の聖句は、どのように関連していますか。つまり、新約聖書はイエスを証しするために、これらの(旧約聖書の)聖句をいかに用いているでしょうか。**

`ヨハネ 1:23 とイザヤ 40:3`

`ヨハネ 2:16、17 と詩編 69:10(口語訳 69:9)`

`ヨハネ 7:38 とエレミヤ 2:13`

`ヨハネ 19:36 と民数記 9:12`

ヨハネだけでなく、ペトロ、パウロ、マタイ、マルコ、ルカ、そのほか新約聖書のあらゆる記者は、聖霊の霊感を受けて、ナザレのイエスの生涯、死、復活、神の御座への昇天などが、いかに旧約聖書の預言の成就であったかを何度も強調しています。

そしてイエスは絶えず弟子たちに、ご自分の働きを予告していた聖書を指し示しておられましたが、弟子たちは、聖書がイエスの死と復活を指し示していることを、いつ理解したのでしょうか。弟子たちがそのことを最終的に理解したのは、イエスが死んで復活し、彼らの前に姿をあらわされてからのことでした。「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」(ヨハ 2:22、同 20:9 も参照)。
20 changes: 18 additions & 2 deletions src/ja/2024-04/08/05.md
Original file line number Diff line number Diff line change
@@ -1,6 +1,22 @@
---
title: 日課
title: イエスに関する旧約聖書の預言(その 2)
date: 20/11/2024
---

### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
イエスは宗教指導者たちにこう言われました。「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」(ヨハ 5:39)。ご自分について、なんと信じがたい主張をなさったことでしょう!

推定される数はさまざまですが、学者たちの中には、ナザレのイエスが旧約聖書の何百もの預言を成就したと主張する人たちがいます。その数はどうであれ、1 人の人間がそのうちのいくつかを、ましてやそのすべてを成就させる確率は、驚異的なものです。時々、次のように描写する人がいます。テキサス州ほどの広さを、高さ 60 センチメートルになるくらい硬貨で埋め尽くし、ピンク色に塗った 1 枚の硬貨をそこに入れて混ぜ合わせたところを想像してみてください。次に、目隠しをした人に 1 回だけピンクのコインを拾い上げるチャンスを与えます。1 回でピンクのコインを拾い上げる確率は、どれくらいでしょうか。

疑いの余地はありません。キリストの誕生、生涯、死は、旧約聖書に預言されており、それは、キリストが待望のメシアであられたことの驚くべき証拠です。ヨハネは、イエスが何者であり、またなぜ私たちがイエスを信じ、イエスから与えられる救いを受け入れるべきなのか、まさにその点を明らかにするために、旧約聖書のこれらの聖句を何度も指摘しているのです。

**ヨハネによる福音書の次の聖句は、メシア預言の成就としてのイエスについて、どのようなことを明らかにしていますか。**

`ヨハネ 12:13 と詩編 118:26`

`ヨハネ 12:14、15 とゼカリヤ 9:9`

`ヨハネ 13:18 と詩編 41:10(口語訳 41:9)`

`ヨハネ 19:37 とゼカリヤ 12:10、13:6`

`あなたは、自分が信じていることに、しっかりとした根拠をどれだけ持っていますか。もし誰かが、あなたがイエスをメシアとして信じる理由を問いただしたとしたら、あなたは何と答えることができますか。また、その信仰を守るために、何を根拠とし、その理由は何ですか。`
16 changes: 14 additions & 2 deletions src/ja/2024-04/08/06.md
Original file line number Diff line number Diff line change
@@ -1,6 +1,18 @@
---
title: 日課
title: 下のものに
date: 21/11/2024
---

### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
ヨハネによる福音書に関するこれまでの研究の中で見てきたように、ヨハネは、イエスがいかに約束されたメシアであり、ユダヤ人が待ち望んでいた大きな希望であられたかを示しています。

それにもかかわらず、人々の霊的指導者であった宗教指導者たちの多くは、イエスの最大の敵でした。なぜでしょうか。

`ヨハネ 8:12-30 を読んでください。ここでのイエスと宗教指導者たちとの間の力関係は、どのようなものでしょうか。多くの人がイエスを拒絶した理由を説明するのに最も助けとなるのは、どの聖句ですか。`

イエスは、宗教指導者たちが「わたし(イエス)もわたしの父も知らない」(ヨハ 8:19)と言われました。彼らは両者を知っているべきでしたが、自己欺ぎ瞞まんに陥っていたのです。彼らは、自分たちの言い伝えや哲学にあまりにもとらわれていたため、イエスが目の前におられ、あらゆることを行い、あらゆることを言った(つまり、父なる神を力強く啓示した)にもかかわらず、依然として彼を拒絶しました。

次にイエスは、「あなたたちは下のものに属している」(ヨハ 8:23)と彼らに言われました。言い換えれば、どんなに宗教的であったとしても、彼らは霊的で敬けい虔けんな人間ではなかったということです。彼らは「信心を装(って)」(IIテモ 3:5)いましたが、それだけでした。彼らは外面的には敬虔でしたが、内面的には不信仰だったのです。

これは何も新しいことではありませんでした。「この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ」(イザ 29:13)。まさにこの考え方は、何世紀もあとにイエスが言われた「人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている」(マル 7:7)と同じです。彼らの人間的な教え、人間的な戒めは、「この世に属して」(ヨハ 8:23)おり、イエスが言われたように、「わたし(イエス)はこの世に属していない」(同)のです。この人たちが自己欺瞞に陥っていたというだけでも十分に悪いことでしたが、彼らはほかの人たちをも誤った方向に導いたため、悲劇はさらに悪化しました。にもかかわらず、興味深いことに、これらの聖句に描かれているやりとりの結果、「多くの人々がイエスを信じた」(ヨハ 8:30)と、ヨハネは書いています。

このように、悪い指導者がいたにもかかわらず、多くのユダヤ人は、イエスが何者であるかを自ら理解することができたのです。
Loading

0 comments on commit a8f5103

Please sign in to comment.